うだつをあげれる人になりたい

「あの人はいつまでたってもうだつが上がらないわよね……」なんて話したことはないですか? 

 

「うだつ」が上がらないの「うだつ」とは、実は家の造りに関した言葉なのです。うだつとは街道沿いなどの町屋などの住宅の隣との境界線のような小さな壁の事を差します。現在「うだつ」が残っている場所は徳島県の美馬士や脇町南町や岐阜県の美濃市などが有名ですが、残念ながら全国的には少なくなってきています。

 

 

ここで話が少しずれますが、町家(まちや)と長屋(ながや)の違いってご存知ですか?

 

長屋とは隣家との壁を共有した複数の住居が1つの建物として建てれれている形式で、対して町家はそれぞれが独立して建てられいる建物の事になります。どちらも都市に建てられる建物で、特に商売をするために建てられた店舗兼住宅は商家などと呼ばれました。町家という言葉は農家に対して商業や工業などを行う都市住宅の総章にも使われ、宿場町、城下町のあの時代劇でよく見る街並ですね。長屋や町屋共基本的なスタイルは道路に向かって屋根が下がってくる平入りなどと呼ばれる短冊形の敷地に奥に細長く建てられます。長屋と町屋の共通の造りは間口が狭く、玄関を入るとまず土間がありさらに奥に向かって通し土間と呼ばれる土間の廊下があり、片側に部屋を一列に並べる間取りが一般的で、長屋はせいぜい2部屋ぐらいしかないのですが、京都などに残っている京町屋などは部屋数も多く、また途中に通り庭(中庭)を設け風通しと採光を確保しています。

 

通り庭の役割はそれだけでは無くて、通りに面した商売のための公の空間と、プライベートな生活空間を区別する意味もあります。

 

「うだつ」は、本来の漢字では「梲」と書き、平安時代には「うだち」と呼ばれ室町時代にはそれが訛って「うだつ」と呼ばれ卯建や宇立などの字があてらています。うだつはうつ梁の上に立てられた短い柱の事を差し、その後切妻屋根のの隣家との間の小さな壁を差すようになりました。この小さな壁は防火のために設けられるもので1階屋根と2階屋根の間に張りだすように設けられ、隣家が火事になった場合に火が燃え移るのを防ぐために考えられました。江戸時代にはこれに装飾が加わり、自己の財力を誇示する手段にもなりました。「うだつ」を上げるためにはそれなりのお金がかかりましたから、裕福じゃないと出来ませんん。つまり、「うだつ」が上がらないという意味は…見栄えがしない、お金があるようには見えないという意味で人にも使われるようになりました。出来れば私は「うだつ」をあげれる人になりたいですよね。