唐尺

唐尺(とうじゃく)は、中国の唐で用いられていた寸法で、
後に朝鮮の高麗で用いられていた高麗尺とともに日本でも用いられていました。

7世紀後半に唐尺は伝わっており、既に高麗尺が使われていたため混乱が生じ、大宝律令では高麗尺を大尺、唐尺の大尺を小尺と定められました。

その後8世紀になると、高麗尺は廃止され唐尺が用いられるようになったとされるが定かではありません。

その後、天平時代(729年から749年)には大宝律令の小尺が用いられるようになり「天平尺」称され、1尺は約29.6cmでした。

8世紀末には長くなり約30cmに達するなど、以後鎌倉時代から江戸時代にかけて延び、江戸時代には1尺約30.3cmとなり、

明治政府が度量衡法を定めて改めて1尺=30.304cm(10/33m)と法制化されました。

現在は計量法により、1958年12月31日限り(土地と建物の計量については1966年3月31日限り)で取引や証明に尺貫法を用いることは禁止されており、
違反者は50万円以下の罰金に処せられます(計量法第8条、第173条第1号)が、実際には古民家などの世界では今も尺を始めとする尺貫法が使われています。

尺貫法の使用に関しては放送作家で作詞家の永六輔氏が「政府によるメートル法の厳しすぎる施行で過度に排除された尺貫法の復権を志す運動」によって
伝統的な業種において慣習としての尺貫法の例外的使用を認めさせ、現在においてもメートル寸法に寸を併記しても可能になっています。


尺貫法(しゃっかんほう)は、東アジアで広く使用されている長さの単位が尺と、日本独自の質量の単位の貫を基本とする長さや面積の単位。

尺貫法は西洋のヤードやポンドなどと同様身体の一部の長さを基本として次第に明確な定義が定められました。

尺貫法は度量衡(どりょうこう)でもあり、度量衡は、さまざまな物理量の測定、あるいは物理単位を言い、
字義的には、度は「長さ」および「さし(ものさし)」、量は「体積」および「枡(升、ます)」、衡は「質量」および「秤(はかり)」を表します。

長さ・距離の単位は、尺を基本の単位とし、他の単位は尺と独立に発生したが、後に尺と関連づけられました。

1里=36町≒3927.272 727メートル
1町=60間 = 360尺≒109.090 909メートル
1間(歩)= 6尺≒1.818 182メートル
1丈= 10尺≒3.030 303メートル
1尺= 10寸= 10/33メートル≒0.303 0303メートル

尺は時代や地域によってその長さが異なり、同じ時代でも目的にり複数の尺が使い分けられました。

現在は単に尺と言えば、曲尺(かねじゃく)とその1.25倍の長さの着物などに用いられる鯨尺(くじらしゃく)があります。

高さについては尺のみを用いる。深さについては尋(じん= 6尺)が用いられます。

明治の度量衡法において一間は6尺と明確に定められ、それまでは、間は建築のモジュールを意味するだけでおよそ6尺という以外に定めはなく、
「間」を用いる際はそれが何尺何寸であるかを示す必要がありました。

面積・地積
面積の単位には、メートル法と同じく長さの単位を組み立てて「方寸(平方寸)」「方尺(平方尺)」「方丈(平方丈)」のように言いますが、
土地の面積(地積)については特別に坪または歩が使われている。坪または歩は一辺が6尺の正方形の面積で、すなわち36平方尺となります。

1町= 10反(段)≒9917.355平方メートル
1反(段)= 10畝≒991.7355平方メートル
1畝= 30坪(歩)≒99.173 554平方メートル
1坪(歩)= 10合= 400/121平方メートル≒3.305 785平方メートル
1合= 10勺≒0.330 5785平方メートル

田畑や山林には町、反、畝、歩を用い、宅地や家屋の地積には坪、合、勺が用いられ、
田畑や山林については面積の値が町・反・畝で終わるときにはその後に「歩」をつけてちょうどの値であることを明示します。

例えば、「5町」ではなく「5町歩」と表示する。また、町よりも大きな面積については、一辺1里の正方形の面積を示す「方里」が用いられます。

体積(量)
体積・容積の単位は、升を基本の単位。
升の大きさは時代や地域によって異なっていたが江戸時代現在の大きさになりました。

1石= 10斗≒180.390 684リットル
1斗= 10升≒18.039 068リットル
1升= 10合= 2401/1331リットル≒1.803 906 837リットル
1合= 10勺≒0.180 390 684リットル

土砂などについては、6尺立方に相当する立坪(単に坪とも)が用いられ、1立方尺を才とも言います。

質量(衡)
江戸時代以前は「両」を質量基本の単位としていました。
両替商で用いられた分銅は両が基本で、匁は補助的な単位となっていました。
この分銅は江戸時代を通じて後藤四郎兵衛家のみ製作が許され、それ以外のものの製作および使用は禁止されたことから後藤分銅と呼ばれました。
しかし、丁銀および豆板銀の通貨単位は量目(質量)の実測値であり、小判の通貨としての単位である「両」と区別する意味で「匁」が用いられることになり、一般的に質量の単位としては匁が広く普及しました。
キログラムへの換算は計量法施行法(昭和26年法律第208号)に基づく、貫の換算係数に基づくもので、江戸時代はこれよりやや小さい。
なお、「両」は、計量法施行法(昭和26年法律第208号)においては定義されませんでした。

1貫= 6.25斤= 100両= 1000匁= 3.75キログラム
1斤= 16両 = 160匁 = 600グラム
1両= 10匁= 37.5グラム
1匁= 3.75グラム