和食と古民家

床の間の脇にしつらえられる付け書院は元々は手紙を書くための文机が形式化されたもので、地袋の上に付けられる障子は「明り障子」と呼ばれます。広縁に入り込む形で作られていることを考えれば、少しでも明るくするために日の光を求めた結果現在の形に落ち着いたのだではないでしょうか。

夏の暑さを和らげるために軒の出が深い古民家は室内が薄暗くなります。先人は少しでも明るくするために外部の面に付けられる夏の建具紙貼り障子は光を拡散し室内に導き入れ、金箔貼りの屏風はリフレクターの役割で光を反射させる効果がある。本来は外壁下部の雨はねから汚れないようにするための犬走りも白い砂などを使い光を反射させ工夫を凝らした。

これらの反射光は目に優しく真壁の柱や天井の竿の影を柔らかに作り出すからこそ、洗練された和室に深みを与えているのではないかと思います。

先日テレビで日本人は食中毒の危険性のある生ものをなぜ好んで食べるかという疑問を外国人が取材しているものを見ました。四季のある日本では旬の食材を一番美味しく食べるためにできるだけ手を加えずに自然の味を繊細に求めた結果、生食が最高のご馳走とされたようです。

古来日本では包丁人という今の料理長に当たる職務があり、包丁人は魚や鳥などを切るだけの仕事であったそうです。包丁人が切った食材を料理人たちが味付けし煮炊きをしたという。食材を切ることは包丁人だけに許されており彼らは食材の旨味を閉じ込めるようにするためにいかに切るかを日々考えていたそうです。

欧米で建物の価値を高めるデザインといえば様々な彫刻などを加えていくことが多いが、日本では逆に不要なものをそぎ落とす引き算を用いることが多いとおもう。お寺はデコラティブな装飾が施されており、それはそれで美しいのだが、伊勢神宮のような白木をそのまま用いたあくまで自然でシンプルな神社は他の国には見られないものであろう。

建物も食事も極めれば自然に一番近い形に行き着くというのが日本人の感性の気がします。