巻の〇 陰翳礼参…  インエイライサン


“建物の上にまず大きな甍を伏せて、その庇が作り出す深い廣い陰の中へ全体の構造を取り込んでしまう。寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も眼立つものは、或る場合には瓦葺き、或る場合には茅葺きの大きな屋根と、その庇の下にただよう濃い闇である。

 

谷崎潤一郎 陰翳礼讃 (中公文庫)より


 

谷崎潤一郎の陰翳礼讃には日本の伝統的な住宅は大きな屋根が特徴でその下には暗闇が広がっているのが日本独特の美意識であると書かれています。金箔が施された屏風なども現代の照明の下で見れば派手でけばけばしく見えますが、当時の住宅ではほの暗い外部の光を反射するリフレクターの役割があり、陰影を作り出す空間こそが日本の美意識だと書かれています。

 

“もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間はもっとも濃い部分である。私は、数奇を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と蔭のとの使い分けに巧妙であるかに感嘆する…“


谷崎潤一郎 陰翳礼讃 (中公文庫)より

 

書籍名について、「古民家解體新書」の「體」と言う文字は杉田玄白の医学書「解體新書」と同じく骨に豊という文字を使わせて頂いておりますが、旧字であり一般的とは言えないのですが、今回こだわったポイントでもあります。

 

古民家の骨組みは現在の住宅に比べ大きく立派な構造でもあり、「體」という字の意味は、全体を自然なる形として成立させる根本で、かつ形として生じている様を示すという意味で、表面的な意味と内面的な本質を示す意味の二通りを持っており、古民家という日本の住文化を表面的な構造的や仕上げを学ぶと共に、未来の子ども達の為に残して行きたいという願いも込めて付けさせて頂いています。


またこの本を貫く古民家の考え方として巻の〇章として、谷崎潤一郎氏の陰翳礼参からの文章を転記させて頂いています。

 

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。(Wikipediaより)


特に陰翳礼参は海外の建築を学んでいる方からも日本の建築を学ぶ為にも活用されているそうで、日本の古民家の陰翳が工芸品などにもおおきな影響を及ぼしており、日本の美は古民家で育まれた陰影の芸術だと私は思っています。


工芸品と古民家の陰影にかんして谷崎潤一郎は下記のようにしるしています。


”昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重にも「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。

 

派手な蒔絵などを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか、文台とか、棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空間を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭のあかりにして見据え、たちまちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう、古えの工藝家がそれらの器に漆を塗り、蒔絵を画く時は、必ずそう云う暗い部屋を頭に置き、乏しい光の中における効果を狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇に浮かび上がる工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。

 

つまり金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しずつ底光りするのを見るように出来ているいるのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云い知れぬ餘情(よじょう)を催すのである。”

 

谷崎潤一郎 陰翳礼讃 (中公文庫)より


陰翳こそが日本の美の原点であり、芸術のみならず、謙虚さなどという道徳観にも反映されていると思います。是非陰翳礼参も一度お読み下さい。