巻の壱 古民家について…


壱の一 未来の子ども達に残すもの

巻の〇では陰翳礼参について書きましたが、巻の壱では、この古民家鑑定士の教本を書くにあたりはじめからずっと書いている吉田兼好が1330年頃に書いたとされる徒然草(つれづれぐさ)について書かせて頂いています。


徒然草は、卜部兼好(兼好法師、兼好。吉田兼好は江戸期の俗称)が書いたとされる清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」と合わせて日本三大随筆の一つとされる随筆です。

 

徒然という意味は「やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさま」を意味し、作品および自己を卑下する謙遜であり、

 

その書き出しは、


”つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。”

 

と始まっています。


吉田兼好(1283年頃~1352年頃)は鎌倉時代末期の官人で、出家をした為に兼好法師とも呼ばれています。「徒然草」はそのタイトルからも世捨て人の繰り言を集めたようものと思われがちですが、実は「心に浮かんだ」ことをただ書き留めたものではなく、人生の中の様々な謎に対して自分なりの答えを見つけたと思ったときにそれを文章にしたものであり、いわば吉田兼好にとっての森羅万象の謎を発見の記録帳なのです。


住まいについて吉田兼好が発見したのは徒然草の第55段に、


”家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。”


という言葉で残されており、現代風に訳せば、住まいのは、夏を考えて造りなさい。冬は、住もうと思えばどこにでも住めるが、猛暑の欠陥住宅に住む事は我慢できない。という意味でしょうか。


55段はこの後にも文章が続き、

 

”深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。”

 

と書かれています。


意味としては、庭に川を流すのは涼しげでいいのですが、気をつけるのは深い川を作っても涼しくは見えないので、浅く水が流れているほうが涼しく感じるもの。


また、庭にある小さい物を鑑賞する時は、吊すと影ができる昔の窓(蔀戸)よりも遣戸(やりど)引き戸の方が明るくて良いし、部屋の天井を高くすると冬は寒くて照明も暗くなる。


また、新築の際には、生活には直接必要ない箇所を造っておけば、目の保養になるし、いざという時に役に立つ事があるかも知れないと職人が言っていたというような感じでしょうか。


古民家の特徴であり、考え方である夏を快適に過ごす工夫、無駄な空間を余裕として空間の使い方の上手い古民家を適確に表現していると思っています。

*蔀戸については古民家解體新書のP197に解説しています。

 

 

古民家の長所…


未来の子どもに残すもの…… 私たちが掲げているスローガンです。巻の壱は古民家について書かせて頂いていますが、そのテーマは巻の壱のタイトルとさせて頂いた未来の子どもに残すものを考えて頂きたいのです。


巻の壱では古民家に対して構法や素材などの知識を身につけて頂くのではなく(巻の参でここは書かせて頂いています)古民家のみならず日本の住宅を取り巻く現状についてのデーターや歴史を紐解かせて頂いていますので、未来の子ども達に何を残して行けばいいのかの結論は皆さんに委ねています。


現在日本の住宅には様々な構法や考え方やライフスタイルに合わせて色々なモノが提供されていますが、日本の住宅=建築の原点はやはり木造になります。


木造住宅で日本で伝統的に建てられて来た建て方は伝統構法と呼ばれ、現在の住宅は伝統構法から派生した在来工法と呼ばれるものになっています。


古民家の長所は(P16)、

 

自然素材を使った安全性と、循環型建築であること自然素材は人体に対して安全であり、ハウスシックなどにかかりにくい健康住宅です(ハウスシックはホコリやダニなども原因なりますので掃除や風通しなども重要ですが…)


また、木材などは再活用ができるので使い回しで資材の有効活用も出来ますし、鉄やコンクリートより木材の方が実は長持ちする素材でもあります。


短所としては、夏の暑さを和らげる構造上どうしても暗く、また気密性が無い為に冬は寒い。
短所を補うために現在の住宅は気密性を上げる為にアルミサッシや断熱材を使い、品質を平均化する為に金物などを使い、また工場で生産される資材をつかい大量生産できる工業製品化をおこなって来ました。
しかしそうする事でハウスシックなどの問題が発生してしまったのです。物事に何事も完璧な物はなく、長所があれば短所もあります。古民家のように自然素材を使い、日本の四季の影響を受けながら工夫しながら生活していくか、あくまで一定の温度と湿度に管理された自然と切り放した環境で生活するのかを選べる時代です。


自分たちがどういう生活をしたいのか、住まいに何を求め、自分の子ども達や、孫達やさらにその後につづく未来の子ども達にどういう日本を残して行くのかをひとりひとりが考えて行く機会だと思います。
住まいに何を求めるのか……、これについては住育検定という本でも問題提起をさせて頂いていますのでよろしければご購入下さい。古民家解體新書ともかぶる内容もありますが、古民家を軸に日本の住まいと自分たちのライフスタイルをどう考えるかの入り口になるかと思います。

 

 

自然素材を活用し、再活用が可能なエコ住宅


地震の多い日本に合わせた免震的な構造でメンテナンスが適切にされていれば地震に強い構造


地産地消で地元の資材を使うので、地域活性化、地球環境の保全に繋がる


風通しのいい間取りや、日射を室内に入れない軒の長い構造などでエネルギー消費の少ないエコ住宅


外部の環境と一体化する開放的な自然環境との調和や、地域コミュニティーとの積極的な関係づくりを促す間取り家族団らんを重視する考え方や、ひとつの部屋で食事や睡眠をとる柔軟な間取りは家をコンパクトにするヒントにもなるような長所を自分たちの現在の住まいにどう取り込むかを考える事はけして無駄な作業ではないと思っています。


長所と短所の両方を読み、理解しておきましょう。

 

古民家の短所…


古民家が今壊される訳、イギリスや欧米などは古い建物=アンティーク、価値のあるものとして残っていますが、日本では社寺やお城などの有名な建物以外の古民家は解体され建て替えられています。それはなぜでしょう?


古民家が残らない理由は、現在の日本人の価値観、ライフスタイルに合わないからだと思います。


古民家は、寒くて、暗くて、使い勝手の悪い間取りなのです(P14)


古民家は日本の住文化を残す大切な物ですし、先人達の技術や考え方のみならず古き良き日本の生活スタイルを具現化したものでもあります。それをそのまま残すのが難しいなら、現在のライフスタイルに合うように直せばいいのだと思います。

 

徒然草 第10段…


徒然草の第10段には、

 

"家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。


よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみじみしと見ゆるぞかし。今めかしく、きららかならねど、木立もの古りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子・透垣のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

 


多くの工の、心を尽くしてみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。また、時の間の烟ともなりなんとぞ、うち見るより思はるる。大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ"
とあります。

現代語に訳せば…
家構えは自分の身分に似合っているものが望ましく、家は無常の世界では、一時的な仮の宿だが興味がある。


身分の高い人がのどかに暮らしている家だと、窓から差し込む月の光すら、しみじみとした趣きがあるように見える。そんな風情ある家の庭は、流行を追っておらず、華やかでもないけれど、木立は程よく古びていて感じがいい。手を入れていない庭は草木が自由に生い茂っていて見苦しい。


建物や竹や細板で作った向こうが透けて見える板垣の配置も素晴らしく、それとなく置いている家具にも味わい深い歴史が感じられて、気持ちを落ち着けてくれる。 


多くの職人が一生懸命に磨きあげ、中国からの輸入品や日本の珍しい調度品を並べたとしても、庭の植木や植物まで意図的に良く見えるように作ってしまうと、見苦しくなってしまい寂しいものだ。人生のうちどのくらいその家に住めるかわからないが、家なんてあっという間に火事で無くなる事もあると、家を見ながら創造したりする。


家の構えを見ることで、その家に住む人の人柄や考えが推し量れることもある。 

という事でしょうか…

 

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