古民家とはなんでしょう?

古い日本の伝統的な建築構法で建てられた建物というのは何となく想像できると思いますが、具体的な定義というものは実ははっきりとはしていないようです。古民家を種類に分けると、田園地帯にのこっている田の字の間取りが特徴の農村民家、蔵などもある庄屋屋敷。京都など昔の町中に建てられている町家や武家民家などいろいろなタイプがありそれぞれ昔の生活習慣を感ることが出来る味わい深い古民家が全国でまだまだたくさん残っています。

 

農家は屋内に土間があり、田の字型の間取りとしたものが典型的です。土間には煮炊きをする竈(かまど)や囲炉裏(いろり)があり、厩(うまや)もあります。囲炉裏の周りで家長を中心に食事を取り一家団欒をします。時代が近年になってくると接客用の部屋も造られるようになり、冠婚葬祭で人が多く集まる際は、戸やふすまを開け放して部屋を広く使えるようにと工夫されていました。土間で縄をなったり、縁側で機織をしたり、屋根裏で蚕を飼うなど、住居と生業の結びつきが強く、茅葺や杉皮、瓦など屋根材も地域によって特徴が見られます。

 

町家は間口が狭く、奥行きがあり、裏まで通り抜けの通路が設けられた形式で、間口が狭いのは、間口の大きさに応じて税金をかけていた名残で、道路に面して短冊形に敷地を取る形状の町家が全国各地に残っています。道路に面した表側は店であることが多く、裏の方に住まいや蔵などを設けていました。京都などの京町家に見られる坪庭は、通風・採光の役割を果しています。

 

武家屋敷の原形は公家の住まい(公家屋敷)であり、寝殿造にあるといわれています。武家が台頭する鎌倉時代から始まり、武家造とも言われ、寝殿造を簡略化し武家の生活様式に合わせ御家人の集う施設や防衛のための施設を持つのが特徴となっています。また武家の中でも身分が低い中級下級の武士が住んだ家は侍屋敷(さむらいやしき)と呼ばれます。武家屋敷と侍屋敷は本来異なるのですが、現在はこの侍屋敷を武家屋敷と呼ぶ場合が多く混同されているようです。その他、さらに身分の低い足軽(武士には含まれていないと考えられていた)足軽屋敷と呼ばれる長屋形式の住宅もありました。

 

各地域の特徴を見ていく時に古民家の特徴が表れやすいのが屋根の形になります。岩手県南部地方の曲家(まがりや)は通常別に建てる馬小屋を母屋の一部に組み込んだ建物がL字の配置になっているものです。

 

山形には高八方造りと言われるものがあり、これは採光と通風の為に屋根に高窓が設けられています。

 

北関東は切り落とし造りと呼ばれる屋根の正面中央を切り取って窓にした様式が多く、高八方造りと同じく養蚕が屋根裏で行われていたためです。

 

長野の本棟造りは茅葺屋根でなく板で屋根が葺かれており、屋根の勾配も緩く、板が強風で飛ばないように石が屋根の上に置かれていたりします。

 

私の住む愛媛県の内子という町には古民家が多く残されており、それを観光資源として活用していますが、この内子町の町屋に多くみられるのは塗り屋造りと呼ばれ、屋根を瓦で葺き、建物の側面や2階の外壁、軒の出た下側(軒裏)などを白い漆喰で塗ったいわば防火の構造になっています。家が建てこんだ場所で火災が起こっても出来るだけ被害を少なくしようと延焼防止を図った知恵です。そしてその外壁には鏝絵(こてえ)と呼ばれる漆喰を使った立体的で美しいデザインが施されており目を楽しませてくれています。

 

それぞれが必要に迫られて時代と生活の多様化の中で生み出された古民家の形ですからそれらを観察する事でその地域の昔の生活様式、そこに住んでいた人が見えてくる気がして古民家を見て回ることは楽しいものです。