茅葺と古民家…

明日、静岡の中勘助文学記念館にて主催 静岡市 企画・製作(公財)静岡市文化振興財団にて「茅葺」と古民家を知ろうと題して講演をさせて頂きます。

 

お話しさせて頂く記念館で紹介されている中勘助は小説「銀の匙」で知られ昭和18年、58歳の時に療養のため東京から旧 服織村(現在の静岡市葵区新間、羽鳥付近)へ移り、4年半を過ごしました。村の自然や村 人とのふれあいはその後の作家活動に大きな影響を与え、帰京後も村人との交流は続いたため静岡市は、勘助が住んだ旧前田邸を中勘助文学記念館として公開しました。

 

中勘助が文壇にデビューするきっかけは東大在学中に講義を受けた夏目漱石に東京朝日新聞に推薦をもらい連載されたのがきっかけです。夏目漱石は愛媛県尋常中学校(松山東高校の前身)で明治28年から明治29年まで教鞭ととり、この時の体験を下敷きに後年書いた小説「坊ちゃん」の舞台に私も住んでおり、不思議な縁を感じています。

 

中勘助の「銀の匙」の中に、家を建てる場面が出てきます。

 

”そのうちに普請(ふしん)がはじまった。材木をひいてきた馬や牛が垣根につながれているのを伯母さんにおぶさってこわごわながら見にゆく。

 

中略

 

普請場にはノミや、チョウナや、マサカリや、でんでんの音を立ててさしも沈んだ病身ものの胸をときめかせる。職人たちのなかに定さんは気だてのやさしい人で、削りものをしているそばに立ってカンナのくぼみからくるくると巻き上がっては地に落ちる鉋屑に見とれているといつもきれいそうなものをよって拾ってくれた。杉や檜の血の出そうなのをしゃぶれば舌や頬がひきしめられるような味がする。”

 

普請とは、普く(あまねく)請う(こう)とも読み広く平等に奉仕(資金・労力・資金の提供)を願う事であり、社会基盤を地域住民で作り維持していく事を指し、現在では公共の社会基盤を受益する共同の人々または公共事業により建設(建築と土木を併せ建設という)および修繕、維持する事です。

 

今回は中勘助記念館の茅葺屋根の葺き替えが完成した記念としてお話しさせて頂きますが、先週のメルマガに書かせて頂いた「結」という考え方で茅葺き屋根のメンテナンスはおこなわれてきました。

 

茅葺を未来の子ども達に残していく為には、きっと「結」のような地域扶助の考え方が必要だと思います。

 

来週14日はマニアックな茅葺屋根の事を書きたいと思います。