壱の六 古民家の歴史について…


日本最古の現存する古民家 箱木家住宅
日本最古の現存する古民家 箱木家住宅

古民家の歴史をたどると、竪穴式住居→掘立柱建築→総柱型建物→礎石建物→在来工法へと進化して来ました。

 

古民家の種類で特徴を分類すると、農村民家は田の字の間取り、町家はうなぎの寝床、武家屋敷の原形は公家の住まい(公家屋敷)寝殿造りがそのルーツです。


寝殿造は、平安時代の都の高位貴族住宅の様式で、正殿と呼ばれる中心的な建物が南の庭に面して建てられ、庭には太鼓橋のかかった池(遣り水)があり、東西に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物を配し、それらを渡殿(わたどの)でつなぎ、更に東西の対屋から渡殿を南に出してその先に釣殿(つりどの)を設けたコの字の配置の間取りの住宅様式です。


竪穴式住居とは地面を円形や方形に掘り、その中に柱を建て、梁や垂木をつなぎあわせて家の骨組みを作り土や葦などの植物で屋根を葺いた建物で規模は大きくなるが室町時代まで利用されていました。


鎌倉時代以降は掘立柱建築という形で柱のみを地面に埋めて建物を固定していましたが、これがやがて石の上に柱を建てる現在の伝統構法に発展してきたのだと思われます。


中世以降は総柱型建物と言われる建物が主流になります。これは母屋(もや)と庇(ひさし)と呼ばれる屋外空間に分類される構造の形式を持ち(ここでいう母屋は部材の名称ではなく、母屋という屋根を支える天井より上の構造の空間を差し、天井から下の空間と、屋外部分を区別しています)、内部空間は碁盤の目のように2m~2.4m前後で統一された柱の間隔を持つ建物です。


やがてこの柱と柱の間に間仕切り壁が設けられ、部屋として細分化されて現在の住宅になっていったんだと思います。鎌倉時代には石の上に柱を建てた礎石建物と掘立柱建物の両方が建てられていましたが、礎石建物は格式高い武家屋敷、庶民は掘立柱建物と区別されていたようです。


日本で長く掘立柱建築が採用されていた理由は、柱の太さに関係なくある程度地震や台風に耐えることが可能で、建築費も安くしかも技術的にも簡単だったのと、日本の豊富な森林資源に恵まれていていくらでも木が調達可能だったということでしょう。


日本最古の現存する古民家は神戸市にある箱木家住宅です。詳しくはP36とP47ページに紹介していますのでご覧下さい。